親ができなくなっていく寂しさ。認知症の本から気づいた「寄り添い方」|介護未満の私が思うこと

小さくなっていく親の背中を静かに見つめるイメージ 暮らし守りの記録 **介護未満のスタート**

親ができなくなっていくのを見るのが、少し寂しい。最近、本を読んで思ったこと

先日、父のマイナンバーカードの電子証明書の有効期限が切れてしまい、
区役所へ手続きに行ってきました。

手続き自体は問題なく終わったのですが、案の定というか──

「パスワード?そんなの設定しましたかねぇ?」
と、父は首をかしげていました。

普段は顔認証で使っているので、暗証番号を入力する機会がほとんどありません。
だから忘れてしまうのも、無理はないのかもしれません。

今回は、これから先は、私が父の代わりに病院などでマイナンバーカードの手続きをすることがあるかもしれない。
そう思って、父と一緒に番号を決めて、私がしっかり覚えておくことにしました。

「これからは、私が覚えておくね」

そう伝えると、父は少し安心したように笑っていました。

家に戻ると、3人の会話はいつもの“カオス”

区役所から戻り、母と父と私の3人で話していると──まあ、これがなかなかカオスです。

話が噛み合わなかったり、同じことを何度も聞かれたり、
「さっきも言ったよね?」と思うこともあります。

以前なら、戸惑い、イライラしてしまってました。

親が年齢を重ね、できないことが増えてくると、
どう接したらいいのか迷うことがあります。

でも最近は、そんなときにふっと立ち止まって、

「忘れてしまうこと」や「話が通じないこと」だけを見るのではなく、
本人は今、どんな気持ちでいるんだろう。

どんな風に見えているんだろう?
と考えるようになりました。

つい自分目線で考えてしまいがちですが、
「相手からは、今どう見えているんだろう」と
想像してみる。

相手の立場に立って考えてみる。

それだけでも、少し見え方が変わるのかもしれません。

人は、できることが増えて、そして少しずつ減っていく

赤ちゃんは、できることが一つずつ増えていきます。

初めて歩いた。初めて言葉を話した。自分で着替えられるようになった。

その「できた!」を、家族みんなで喜んできました。

でも、長い人生を歩んだ先で、今度は少しずつ「できないこと」が増えていく。

頭では分かっていることなのに、自分の親ができなくなっていくのを見るのは、やっぱり寂しいものです。

でも、一番戸惑っているのは本人なのかもしれない

最近、認知症についての本を読んでいます。

「認知症の人が見ている世界」という本を読んで、
今までとは少し違う視点を持てるようになりました。

こちらから見ると、

「また忘れている」
「どうして話が通じないんだろう」

と思ってしまうことでも、

本人からしたら、

“分からない”のではなく、
“分からなくなっていくことに戸惑っている”

のかもしれない。

できていたことができなくなる。分かっていたことが分からなくなる。

それは、本人にとってもきっと寂しくて、不安で、心細いことなんだろうな──そんなふうに思うようになりました。

親が赤ちゃんに戻るわけではないけれど

「人は歳をとると、また赤ちゃんに戻っていく」

そんなふうに言うことがあります。

でも、もちろん親は赤ちゃんに戻るわけではありません。

長い人生を生きてきた、私たちの親です。

ただ、少しずつ誰かの手を借りることが増えていく。
できていたことを、誰かに助けてもらうことが増えていく。

それは、子どもの成長を見守ってきたときとはまた違う、
“もうひとつの見守りの時間”なんですよね。

「大切な人が亡くなる前に あなたができる10のこと」からの気づき

もう一冊、最近読んだ本があります。

「大切な人が亡くなる前にあなたができる10のこと」

この本を読んで、心に強く残ったことがあります。

それは、

「会話だけじゃなく、もっと身体に触れておこう」
ということ。

両親には出来るだけ連絡をしています。
会ったときも話をしています。

段差のあるところでは、手を取るようにもなりました。

でも、あえて
手を握ったり、背中をさすったり、肩に触れたり──
そういうことは、意外としていない。

これからは、両親に会えるときには、
会話だけではなく、もっと触れておこうと思いました。

手を握るだけでもいい。肩に触れるだけでもいい。
隣に座って、そっと背中に手を添えるだけでもいい。

言葉にしなくても伝わるものが、きっとあるから。

介護が始まる前だからこそ、できること

私はまだ「介護をしています」と言えるほどの状態ではありません。

だから、このブログでは「介護未満」として、今の両親とのことを書いています。

でも、「介護」が始まっていない、今だからこそ、
しておいたほうがいいこと、
できることはたくさんあるんですよね。

親が忘れてしまったことを、一緒に思い出す。
できなくなったことを、無理に戻そうとするのではなく、そっと手を貸す。

そして、

「今日も会えてよかった」

と思える時間を、一緒に過ごす。

今日も、まあ、いっか

今日も、母と父と私の会話は、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。

何度も同じことを聞かれる。
話が噛み合わないこともある。

そんなときは、ちょっと唐突かもしれませんが、
両親の思い出話を聞くようにしています。

「じいじは何学部に行ったんだっけ?」

実際、私は大学名は知っていても、学部は知らず
(遠い昔に聞いて、忘れた可能性大(;’∀’)💦)

父は嫌な顔一つせず、「経済学部だったんだよ」と
懐かしそうに大学時代の話をしてくれました。

できなくなったことばかりを数えるのではなく、今日できたことを見る。

そして、会えるうちに会う。
話せるうちに話す。
触れられるうちに触れる。

完璧な親孝行なんて、できなくてもいい。

今日、顔を見に行けた。
今日、手を握れた。
今日、一緒に笑えた。

それだけでも、十分。

ま、いっか💛


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