父が通院していた病院の先生は、
あまり目も合わさず、話も淡々としていて、どこか冷たく感じました。
折しも血液検査でひっかかり、
「大きな病院での検査が必要です」と言われたとき、
父は余計に不安になっていました。
紹介された大病院での検査結果は、
「原因は見つかりませんでした」というものでした。
それ自体は安心材料のはずなのに、
先生はモニターだけを見て、目も合わせずに説明を終えました。
そのとき父がぽつりとつぶやいたのです。
「高齢者だから仕方ないってことなんだな。年は取りたくないな…」
その言葉に、私は胸がぎゅっとなりました。
病気の不安だけじゃなく、
“人として扱われていない”ような寂しさが、父を暗くしていたのです。
しかも最近、父の会話が少し怪しくなってきたことも気になっていました。
言葉のつじつまが合わなかったり、
同じ話を何度も繰り返したり──
「もしかして、認知症の入り口かも…」という不安も重なっていました。
そんな父を見ていられず、
私は病院を探し始めました。
「病気を診るだけじゃなく、心にも目を向けてくれる先生に出会いたい」
そう思ったのです。

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